studioMeatball Exhibition DM

Installation view


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Statement

東京 早稲田にあるアートスタジオ studioMeatball のオープンスタジオを開催します。
studioMeatball は2005年よりペインターの制作現場として運営されてきました。
現在、大岸法隆、山崎怜太、高萩慶の3名で構成されており、絵画制作を中心に活動しています。
今回メンバーによるグループ展示を行います。

現代作家の絵画への取り組みがどのようにして目的をもち、その達成を迎えるのか。
絵画を根底から捉えなおす真摯な、ときに辛辣な作品をぜひご高覧下さい。


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Information

2010年11月27日、28日
12月4日、5日、11日、12日

13:00 - 20:00

終了しました


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Artist

大岸法隆  Noritaka OGISHI  [ profle ] [ web ]

「studioMeatball Exhibition 2010 によせて」

「Young Team」 大岸法隆

これらの絵は半分ありものの画像からきていて、半分は想像で描いています
どういった画像を選ぶのかについてだけ、簡単に説明します
これらは自分がどこかで撮ってきた画像ではないのですが、客観的事実の画像は選びません
むしろ、自分が撮った画像ではないほうが都合がよいのです
また、自分にとって絵画にしやすいというだけの理由で画像を選んできているのかというと、それは半々といった感じです
この手の絵を特別描いてきたというわけでもないので、これらの画像に先行する絵画の技法があるということではないのです

客観的事実の画像ではまずい理由は、これらの画像を絵にする際に自分に引き寄せないと描けないということが挙げられます
自分に引き寄せるということも作業に含まれていて、それが重要でもあるのです
もっというと、これらの画像を自分に関係づけるために描いているのです
これらの画像をどのように自分と関係づけるのかの例として、自分が今までにみてきた光景を連想させる画像を選ぶということが挙げられます
また、自分もこの光景の一部であったというものもあります
こうした意味において、これらの画像が今までにみてきた光景というのはまた、半々の事実です
つまりこれらは完全に客観的な光景というわけではないのです

客観的事実を描くということはそれらを自分が描く理由さがしに終始してしまうおそれがあります
それが半々の事実であれば、そこには描く余地が生まれるのです
また、これらの画像のなかに自分の身を置きたいという願望だけを表しているわけでもないし、まったくそういった願望がないというのもまずい、それが客観的事実を避ける理由でもあります
たとえば、これらのかつて自分にも起きた出来事に対して、過去への憧憬や、できごとへの同化の欲望を読みとることもできるでしょう
それがまったくないということではありません
ただ、それも半々ということです
やはりそうした憧憬だけでは描く理由にはならないのです

もしかしたらこれは映像的な場面のように考えるとわかりやすいかもしれません
映像作家や映画の監督がある自分の経験をプロットにのせて、他人によって(ときには監督本人によって)再現するように
こう断言してもよいでしょう、これらは映像の絵画、映像の経験の絵画なのです。(談)

高萩慶  Kei TAKAHAGI  [ profle ] [ web ]

「ベイリーのように」

2008年、バリントン・J・ベイリーというSF作家が亡くなった。
主に70年代に活躍した作家だった。 彼は作品の中で奇妙なガジェットを駆使し、様々な事象を物質化した。
もちろんSFとはそういう事柄を主に扱うジャンルではあるが、彼はある作品でついには「意識」すらも可視化させる。
簡単に表現すると、それは内側が鏡張りのボックスの中を無限に反射し続ける光なのだが。

目に見えないもの、見たことがないものを描くことを常にどこかで考えなければならない。

山崎怜太  Ryota YAMAZAKI  [ profle ] [ web ]

「Botanical Painting」

「Botanical」という言葉は「植物学の」と訳されるように、学問としての側面が含まれます。「Botanical Art」というと、一般的には植物図鑑の挿絵のように草花を整然と描くスタイルを指します。起源はヨーロッパの大航海時代に世界各地で発見される植物を記録することにあり、それはまさに植物学と密接に結びついていました。

学問としての絵画を描くためには、機械的に対象を観察し、特徴を正確に記録することが要求されます。こう聞くと見たままに写し取るという単純な作業を思い浮かべがちですが、果たしてそうでしょうか。
種の情報を的確に表現するためには、対象物を取り巻く環境やそれ自身が持つ特有の物語は不要のはずです。つまり、観察者は意図的な取捨選択を行うことで、植物学的に正確なイメージを作り出せるのです。

今回発表する作品群は、画像を見ても植物の種類がよくわからないし、おまけに影が入り込んでいたりと、いわゆる植物学的にはとても機能するものではありません。ただ、見る行為と描く行為の距離が近いものをモチーフとして探していた私には、植物の形態がとてもペインタリーに見え、それはまるで描かれるための対象にようにも感じました。
見るように描くためのモチーフ、その目的においては、対象が置かれている状況はもちろんのこと、全体像も必要としません。
このようにして出来上がったイメージは個人的で、時として閉鎖的なものですが、しかしそこに規則性があれば他者にも開かれた状態になり、またそこで機能していくのではないかと思っています。


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